人間の中に、霊、もしくは魂、それとも理論上の何かが存在しているのでしょうか?
それとも自己意識というのは単なる生物学的反応の組み合わせなら生まれる錯覚なのでしょうか?

人間の脳はニューロンを観察することで「意識」がどこから始まり、どのような過程を経てどのように終わるのかということを科学的に調べることができます。ですが、「自我」という感覚はニューロンの動きを観察しても説明ができないのです。
でもやはり、私たちは何かを考えるときも、喋るときも、夢を見るときも、書くときも、歩くときも、「私が」その行動をしているという感覚が常にあり、すべての体験はこの「私」に起こっている経験だというふうに感じます。
この「自我」というものは存在しないということになっていますが、人間としては科学では説明できない何かがあるというふうに感じてしまいます。

この哲学者達は、自我に対する理論を大きく分けて二つ考案しました。
バンドル理論とエゴ理論です。

バンドル理論

バンドル理論によると、自我というのは常に継続して存在しているものではなく、人の一つ一つの連続的経験から起きる錯覚です。
言い換えれば、私たちの人生は、続いて起こる、束のような経験でできているということになります。
そして一つの自我が存在していてその自我が全てを経験することはありません。
バンドル理論は極めて科学的な思想ですが、初めてバンドル理論を唱えたのは意外にも仏陀である可能性が高いのです。
仏教は他の宗教と違って自我というものを否定しています。
2500年前、仏陀は木の下で長い瞑想をした結果、悟りを開いたといわれています。
彼は、永久的な自我という考えを否定し、「無我」という考えを受け入れました。
彼の教えでは、人々の苦痛は自我にしがみついている結果であり、人の直感的な解釈にすぎない「自我」というものは捨てるべきだと言いました。
バンドル理論は、人が自然に感じる直感と一致しないため、そう簡単に心の底から受け入れることはできないことだと思います。
でもこれは歴史上多くの著名な哲学者が支持してきた考え方でもあることも事実です。

エゴ理論

それに対して、エゴ理論は常に自我が存在していると唱えています。
エゴ理論には様々な形式があり、神秘論では「魂」というものが存在していると言われています。
このような考えを持っているのが、キリスト教、ユダヤ教、ムスラム教、ヒンズー教等です。

科学者たちは、自我を説明するために、脳内で常に自己認識の役割を果たしている場所を探し続けています。
昔、エゴ理論の証拠となりうる実験が行われました。
それは1950年代と60年代、当時のてんかん患者は片方の脳から発作がもう片方に伝染しないように、脳をほぽ半分に切り裂かれていました。
ほとんどの患者は無事回復するのですが、手術前の状態へIQを復活させるためのリハビリ中に、二重に自我があると思わせるような行動を取る人もいました。

例えば、患者の左目に雪の絵を見せて、もう右目には鳥の鍵爪を一瞬だけ見せます。
本人に何が見えたか聞いてみると、「鳥の鍵爪が見えた」と言います。
これは、言葉を操る左脳側は、右目の視覚を受信しているので、左脳のみが喋っているのです。

続けて、イラストが描かれた複数のカードを見せて、その中から見たものに指を差してくださいと言うと、
二つのイメージを合体させて雪かきスコップのカードを指差すのです。
分離脳の患者はまるで、一つの体で二つの意識を持っているようでした。

あなたはどっちですか?

あなたがバンドル理論者なのか、それどエゴ理論者なのかを判別するための有名な心理テストがあります。

このような内容です。
人間以外では確実に成功して安全だというテレポートマシンが発明されました。
そのテレポートマシンは一つ一つの原子をスキャンしてから、あなたを破壊し、瞬時に目的の場所で元の形に再構築するという仕組みです。被写体は痛みを感じることはなく、記憶も元のまま残ります。
さて、あなたはこのテレポートマシンを使いますか?

もしあなたがバンドル理論者なら迷わず使います。生物的構成もすべてそのまま再現されるので、使う前と使った後で、誰も違いを見つけることはできませし、そもそも「自我」という感覚も錯覚にすぎないので、本人もテレポートする前と後では違いは感じないと言います。

でももしあなたがエゴ理論者であれば、そのテレポートマシンは絶対に使わないと言います。
なぜなら、自分が死ぬだけでなく、テレポート先に出現する魂のない生き物は単なる人工的クローンでしかなく、そこに自我は存在しないと考えるからです。